試験飛行を完了後、気分良く川上教官とつまみの調達と食事をする。
宿に帰りLANでメールを確認する。 その時、嶋支社長から明日の夕方に到着するのでシカゴのクラスB空域の直下のエグゼクティブ空港に来てほしいという またまた 突然のメールが届いていた。
そこで ビールを目の前にして、川上教官の慣熟飛行をかね、明日の昼ごろに向かう計画を立てる。天気予報は昼からはVFR、それまではIFRで雷が朝方から残るとのこと。念のため4時間おきに天気を確認して気象の移り変わりと傾向の把握に勤める。
私が訓練生のとき(20数年前)は空港に行き、FAXで送られて来る天気図とFSSのブリーファーとのやり取りで天気のイメージを立体的に作っていたが、今ではインターネットでどこでもインターネットにつながれば必要な情報は集められるし、フライトプランもファイルできる。 そのうち、操縦士の判断業務もコンピュユーターがするようになるでしょう。でも、意思決定はあくまで操縦士で、情報を正確に分析できないと機械が故障したときに危険なので勉強は怠ることはできない。(情報は常にUPDATEしてないといけない)
天気を調べ、日本からのいろいろな仕事のメールに返答をして一息つく。
そして、待望のビール一杯。このために一日一日がんばって仕事をしているのだと川上教官と祝杯を上げる。
翌日6時 雨混じりの低層雲が飛ぶように流れていく。昨夜は雷が一晩中なっていた。 各気象図とレーダー画像とMETAR TAF を吟味して13時には離陸できると判断する。
シカゴから帰ってくるのは夜だし、寝不足も頂点に達していたので、帰りの操縦は嶋支社長に任せて右席で休ませてもらおう。燃料を満タンにして、12:30川上教官が機長としてフライトプランをファイルする。プリフライトは十分すぎるぐらいしており、途中の空港は頭に入っている。
13:00離陸し、 計器飛行のチャートがないためにVFRの運航に制限される。VFRでにじり寄れるところまで進出しよう。(この写真を拡大すると美しい操縦席が見えます。気づきましたかGARMIN430が装備されているのを 詳細は実物をご覧ください)
途中の空港にひとたび着陸し、飛行計画を再度ファイルし直す。 このクリントン空港は自作機がたくさん駐機していた。
閑話休題
自作機といっても、最近の自作機の性能はすばらしく、中には300ノット近くで飛ぶものもあり、タービンエンジンやジェットエンジンまで装備するものもある。この空港にあったのは、カナード翼を持つ200ktで航続距離は1000NMぐらいだったと思う。この飛行機が自作キットで購入するとエンジン込みで数百万で購入できるという。もちろん自分で組み立てるのだが 文系出身者でも簡単に作れるというから嬉しい。個人的には近々挑戦したいと思っています。
日本で組み立ててグアムに持っていくか、飛ばしていくか(1300海里)グアムで組み立てるかなどいろいろ思いをめぐらしていると 川上教官が私の考えを見透かすように 笑って出発準備完了を宣言する。 これ以上この空港にいると、私が悪影響を受けると心配しての配慮?なのだ。
(この時点で私は2011年の4月に自作機と小型機の技術博覧会『サンファン航空際』に出張する計画をたてていたのです。)
日本では、飛行機をかりるのに料金が高く、誰しもがすぐに訓練できる状況ではありません。日本の航空の振興は、裾野が広がらないと発展は難しいといわれています。
若い世代が飛行機に親しむことができるのは、もしかしたら自作機しかないのではないか。日本で設計すれば、もっと高性能機ができるように思えます。自分の設計した飛行機を操縦して飛ばすなんて、なんと素晴らしいこと。技術支援をしてくれそうな友人は結構いて、重工業で飛行機の設計をしているグループ、航空機の整備をしているプロの整備士、某社でテスト操縦士をしているグループ、整備士養成学校の先生たち。など他にもたくさんいます。ただこの手の飛行機は日本で飛ばそうとしてもなかなか難しい。規制緩和になると良いのですが... やはり、製作後はグアムに持ってくるしかないのかな...
さて、無事に目的地に到着し、計器飛行用の低高度エンルートチャートをいくつかのパイロットショップや学校を周り揃える。
FBOに戻り、川上教官はパイロットラウンジの仮眠室へ、私は日本からのコンサルの打ち合わせでまた2時間ほど東京とやり取りをする。
20:30やっと嶋支社長が到着、荷物を搭載し、すぐ離陸。機体が元の空港に戻ったのは23:00を回っていた。宿に戻り 明日は計器飛行の状況確認飛行を実施予定。
3人とも泥のように眠る。
次回 間に合わない!いざミネアポリスへ に続く
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